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特定のシステムを「私」のシステムとして内部化するための関連付けをする。

日常無意識のうちに多くの人々が共有しているかのような認識_つまり思考済みとして意義が固定され、内部化されているかのような領域の構造 (_もしくは、「思考済みとして意義が固定され、内部化されている」と(私が)思い込んでいる私の考え方の構造)そのものを表現の素材としている。

その対象の仕組みに則しつつ、しかしその対象の多くの使用者とは異なる動機でアプローチをする。このことによって因果関係を開き、私と私の解釈法の共通項が顕われ、メタシステムを抽出することを意図する。

対象とする日常の事象ー素材は、変数として、常に換えられなければならないという負荷を自身に与える。

「参加」した結果としての表現物や形跡は、自分の日常生活の中に発表後も既成事実として残り続け、そのアプローチの責任を自身に負わせる。「表現」したことにより、自身の日常を拘束する、作品と「私」個人的との同期によって、現実としての「表現」を構成していく。 (2011)

「実体的要素」を変数として用い、ひとの思考の仕組みの解釈法/補正法/調律法を探し、 それらの「捏造」法に向かい合えるように試みる。


「制作」をしようと思い立つ瞬間は、例えば相撲の「立ち会い」が成立する瞬間に似ている。
「私」と「素材となる物や事の現象とその仕組み」の呼吸が暗黙の内に一致する瞬間がある。
そこには「開始」の合図を出す第三者はいない。

作品「制作」を漠然とした他者に対する無自覚な反射運動として、
相手がいなくても成り立つ「復讐」として捉えている。
不特定多数に因って作られた『私』を、自力で倍にして作り返して神に返品する…
といった勢いの、生きる意思=癖/現象だと感じている。
そして「制作」は「稽古」に近い。
なぜここで「稽古」という言葉か。たとえば相撲の「ぶつかり稽古」を例に関連づけている。
つまり私は、押しと受け身、転び方を、繰り返し経験することによって、自分の要素のなかに埋め込まれている(と無意識のうちに何故か前提としている)あらゆる事象との「韻」を覚醒させるために、「素材となる物や事の現象とその仕組み」、あるいは「私の考え」に対して、ぶつかりながら、「ひとり」では出来ないそれらの動きに伴う意識の「型」、つまり広義の「システム」を掴みそれを鍵として、いま経験しているこの世界の無数に在るであろう別の相を知ろうとしている。


相互に交換可能な事象『α』を選び、
この『α』の要素のなかに、
「私」自身の思考法の仕組みと繋がる構造を発見(=捏造=補正)し、
私の日常/世界に同期するように設定(=捏造=補正)する。

素材「α」:
幾何形体(石膏)、回答用紙、ソロバン、サイコロ、囲碁、オセロゲーム、ジグソ−パズル、スピログラフ、浮き、弾痕ステッカー、レジスターマーク(トンボ、トリムマーク)、鉛筆、定規、安全ピン、株式投資、銀行口座、問題集、賞状、成績表、作文、筆跡、書道、犯罪容疑者の似顔絵、陶磁器のかけら、卵のかけら、 煎餅のかけら、製図用テンプレート、折り紙、コンパス、生命保険、色カード、油絵の具、油性塗料、RGB調光偏光蛍光灯、色調補正フィルター、殺菌灯、公正証書遺言、塗り絵、臓器提供意思表示カード、石、くす玉、星取表、価格表、オッズ表示板。


ひとの思考法の仕組みに構造的に対応する事例を『素材』として扱い、
現実的なものから偶像的なものへ、特定のものから普遍的なものへ、
個人的なものから集合的なものへのつながの符号を示す。

または、偶像的なものから現実的なものへ、普遍的なものを特定のものへ、
集合的なものから私的なものへの繋がりを経験するための「手続き」をする。
この「手続き」を「制作」とする。


20180728
作品「制作」とは漠然とした他者に対する無自覚な抵抗である。ただ生きているうえで無意識にあらわれる反射に過ぎない。つまり特定の相手を前提としないニュートラルな「復讐」である。自分で把握しきれない量の事象の相関関係によって織り上げられた『私』を、自分の意思で作り直さなければならないと何かに追い立てられている。たとえば相撲の「ぶつかり稽古」のように、限界まで押すことと受け身つまり転び方を、繰り返すことによって、自分の要素のなかに埋め込まれている(と無意識のうちに何故か前提としている)あらゆる事象と自分との「韻」を覚醒させるために「私の考え」にぶつかりながら転がされ、そして怪我をしない跳ね返され方、受け身を体得したい。これが広義の「システム」を垣間見ることであり、それを鍵として、いま経験しているこの世界の無数に在るであろう別の相を開きたい。

20150307
作品が概念だけでなくポータブルな「物体」になる場合、展示空間との密着点をどうするか。私はいつも設置現場で動揺してきた。 既にある建造物に居抜き的に「作品」を置くこととは、作品を展示空間の床や壁の素材に対応(迎合)させることで、作品のどこかに接触部分として、作品本体とは別の脈絡から発生した加工を受け入れることである。 加工された箇所は作品の外部になり「考えてはいけない部分・見えても見ないで欲しい部分・あっても無かったことにして欲しい部分」になる。

私は今回、その空間との密着部分を後付けでなく、あらかじめ前提として主軸に組込んだ作品をつくる。ここ数年はベニヤ板でパネルを作り、本来は鑑賞する部分ではない裏側の骨組みの、他にあり得るであろう無数のパターンを増やし続けてきた。表向きは同じ四角の面だが合板自体の個々の文様があり厳密には同じ表面ではない。そして裏側には虫食い葉のように個々の時間・境遇があり、それを私が無駄に創り得る領域があることを示したかった。今回はこのパネルに何カ所もアンカーを打ち込み、作品最前面に別の面を被せることができる固定機能を付け、上部のレイヤーが背景に後退する可能性をデフォルトで備える。またアンカーで貫かれることによって表側と裏側と展示空間が臍の緒のように繋がり、側面以外の新しい中間エリアができる。その繋がる仕組みを機能させたりさせなかったりしつつ、アンカーそのものが文様化する顛末もみたい。これらのパネルは入れ子構造として展示空間に埋め込まれたアンカーで固定される。

巧くいえないのだが、「こっちにあるよ…いや、実はこっちじゃないや、あっちにあるよ…そうじゃなくてこっちだよ…」といった具合に矢印の示す方向を何段階も切り替えて屈折する密度を上げたい。答えに辿りついたと思ったら、その瞬間にその「問い」自体の解釈が無効になったり変わったり薄ぼんやりするような仕掛けをつくってみたい。私が認識している世界に近い状態を自分で構成したい。そうして主従関係を反転し克復感を得られるかどうか知りたい。 (2015.3.7)  『資本空間 –スリー・ディメンショナル・ロジカル・ピクチャーの彼岸』 vol.1 豊嶋康子(展覧会ハンドアウト用テキストより)

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